大月市観光協会 Otsuki Tourism Association
「黒野田宿本陣見学とディープな笹子を知るウォーキング」が終わりました。
「黒野田宿本陣見学とディープな笹子を知るウォーキング」が令和4年10月22日に実施されました。

告知募集してご応募いただいた方々と関係者、総勢15名、秋の笹子の道歩きを楽しみました。
見学、昼食、休憩含め約5時間の行程を、黒野田宿本陣のご当主の奥様に道案内していただきながら歩きました。
今回は大月市役所笹子出張所出発10:00→笹子隧道記念碑→葦が池碑→稲村神社・親鸞聖人念仏塚→阿弥陀海堂碑→笹一酒造→黒野田本陣にて 昼食・見学をさせていただき、笹子駅 ・解散15:00という工程で歩きました。










〇親鸞聖人にまつわる笹子の伝説の地
 「葦が池(よしがいけ)碑」

大月市笹子町吉久保地域にあるあったといわれる葦が池は沼池で約9,000坪もの広さがあったといわれていますが、現在は石碑と説明看板があるのみです。


この地には「よし」という娘が旅の僧侶への悲恋の末、この池に身を投げ毒蛇となり、村人を苦しめるようになり、親鸞聖人に供養されたという「葦が池の伝説」が残っています。吉久保地域では実際に江戸時代にお葦さんという娘がいたそうで、親鸞聖人が毒蛇となった「よし」を供養する際に、この池に投げ入れたと伝わる経石も残されています。この伝説は「笹子追分の人形芝居」の演目の中で「吉窪美人鏡・親鸞聖人御法海『毒蛇斉度の段』」として現在も演じ伝えられています。







この日は稲村神社でお葦さんのご子孫の小俣さんにお話をお聞きしました。







発掘された経石も特別に見せて頂きました。
吉久保地区には数軒の方が、このような経石をお持ちだということです。




〇「稲村神社」

嘉永2(1327)年の創建、吉久保、原の氏神で日本武尊(ヤマノタケルノミコト)など4神が祀られている神社。境内には一つの根もとから三本の幹がのびる大杉や道祖神をはじめ様々な石造物があります。






道祖神については、大月市郷土資料館の学芸員からのお話をいただきました。




境内の入口前には「親鸞聖人念仏塚」を見学する事ができます。




〇「阿弥陀堂跡碑」

阿弥陀海(あみだかいどう)の名前の由来になったお堂で、行基(668~749年)上人による開基伝説が残っています。現在お堂はありませんがが安置されていた阿弥陀如来は黒野田の普妙院に移したと伝わり、跡地には多数の石仏があります。









そのあと笹一酒造に立ち寄り休憩とお買い物






そしていよいよ黒野田本陣へ。


〇「黒野田宿本陣」

甲州街道の黒野田宿は、道中最大な難所である笹子峠手前の最終の宿場町で旅籠の数も14軒もあり賑わっていたそうです。。黒野田宿の本陣は、母屋、薬医門、門構えや一階部分の出桁造り、室内に入ると土間やケヤキの大黒柱、大名などが泊まった上段の間が残されており、建具や欄間に昔の面影をつたえています。

明治13(1880)年には、明治天皇が巡行(地方視察)され、離れ棟を行在所(あんざいしょ)として宿泊のため提供したそうで門の右脇には「明治天皇行在所跡」碑が残されています。所蔵の「明治13年6月13日今上陛下御巡行時御宿場割」や「御巡幸沿道略図」など普段公開していない貴重な古文書を特別に見せて頂きました。






























 










黒野田本陣を離れ、笹子駅に向かいながら笠懸地蔵を見学









集合場所へと戻ってきました。

笹子本陣の奥様はじめ、お葦さんのご子孫や地域住民の方々から貴重なお話や、普段は見られないようなものを見せていただき、ディープな笹子を知ることが出来ました。
普段は車で通り過ぎてしまう道も、これからは特別な思いのある場所になるのではないでしょうか?
参加された皆さん、お疲れ様でした。