山本周五郎文学碑
今も多くの作品が読み継がれ全国に多くのファンを持つ小説家「山本周五郎」が亡くなって今年で50年。
没後50年の節目に当たり、地元の有志団体が周五郎の生家跡に近いJR初狩駅前に、文学碑を建てました。
この碑には山梨を舞台にした小説「山彦乙女」の一部が刻まれています。
【山本周五郎について】
人情味あふれる歴史・時代小説の巨匠『山本周五郎』は、1903年(明治36年)に大月市初狩町で生まれました。
地元でみどう屋敷と呼ばれた長屋に住んでおりました。
周五郎の名付け親は長屋の持ち主の奥脇愛五郎。
明治36年の生まれであることから三十六(さとむ)と命名されました。
家族が増え、家が手狭になったことから1906年10月に初狩を出て
大月駅前の運送店に間借りをし、両親と三十六は生活を始めました。
翌年8月に降り続いた豪雨で、初狩村では大洪水が起き、高川山の寒場沢から山津波が発生。
土砂は中央線を越え、みどう屋敷も飲み込み親族が命を落としています。
三十六は大月駅前に移り住んでいたため難を逃れました。
その後まもなく両親とともに大月を離れ、
東京日本橋の「山本周五郎商店』に徒弟として住み込み、
その主人に深く心酔したので、後年、小説家となった三十六は
ペンネームを山本周五郎としたといわれています。
JR中央線初狩駅近くの国道20号線沿いには、周五郎の名付け親の家
奥脇家住宅(甲州街道下初狩宿の本陣跡)が残っており
敷地内には『山本周五郎生誕之地』の石碑(1979年)が建てられています。